「おすすめCD(クラシック)」

データ:ベルグルンド/シベリウス:交響曲全集&管弦楽曲選集

東芝EMI TOCE-8866〜70

 シベリウスってあまり好きじゃなかったんです.難解かと思うといきなり安易になったり,急に俗っぽくなったりで,一体この作曲家はどんな人間なのかしらんと思っていました.聴いていた演奏も片寄っていたのかもしれません.第2交響曲はバーンスタインのやたら遅い演奏.あとの交響曲はカラヤンでお茶を濁していたところでした.つくばの市民オケで第5を振ることになったので,仕方なくCDを数種類聴き始めたところから,シベリウスの後期交響曲などには(少しですが)共感できるところを見出し始めたのです.

 特にブロムシュテット/サンフランシスコ響の第5なんかは,冒頭がものすごく美しい….まったく風のない,朝日に照らされた雪原に居て丹頂(鶴)たちが鳴く声の交換を聴くような情景,あるいはものすごく冷え込んで澄みきった星空を背景に,オーロラの色の変化を見るような景色.とにかく思わず吸い込まれてしまう音の空間がそこに存在して,しかもとてつもなく寒い,肌寒いというよりは凍結してしまっているようなイメージを抱くのです.しかもブロムシュテットの処理は淡々としていて各楽器の音色の美しさを中心に音楽を運んでいくので,余計に第5の持つ音素材の美しさが伝わってくる冒頭なのです.しかーし!,その後はダメ.なんで第1楽章の後半はあんなに軽薄になっちゃうの!って思っちゃうんですね.なんか聴衆受け狙ったんじゃないの?とか思ってしまうんですよ.これだから,シベリウスは全面的には好きになれないというわけでした.

 ところがところが,ベルグルンドの指揮するシベリウスはちがう,媚びてない!一直線に音楽を処理していく棒さばき.早めのテンポ.緩急自在のフレージング.そして棒のままに,時には棒よりも激しく表現しているんじゃないの?とさえ感じられるヘルシンキ・フィルの演奏.「フィンランディア」は期待通り,突き進んでいます.中間の木管のコラールなんか聴いてて涙が出てきます.第5交響曲も例の第1楽章の後半を上品かつはしゃぎすぎないように処理しています.第3楽章でも感傷的なメロディーを一歩下がって抑制的に表現することで一層魅力的に仕上げることに成功.「アンサンブルに若干の詰めの甘さが認められる」と某評論家に書かれているけど,この評論家は「音を聴いて音楽を聴かず」の見本のようなもんでしょう.第2交響曲では何かに憑かれたように突っ走ったり細かく陰影を付けたりして,フレージングを自由自在に扱っています.早いところなんてほんとに早くてびっくりするほど.そして白眉は第1交響曲!すうーっと入ってきて頭をガーンとやられたような提示部(第1楽章).安っぽく表現するとチャイコフスキーのようになってしまうこの曲を,実に強靱な意志を以て堂々と表現していることか.よく引き合いに出される第4楽章の終わり方も物さびしく終わるのではなく,自然に還っていくような処理の仕方.

 そしてこれら全集のどこをとっても,シベリウスの音楽はベルグルンド自身の中でよく消化され再構成されて棒の先から生まれ出て来たかのごとく,1つのフレーズとも無駄な表現はないのです.大胆に踏み込んでみたり,一歩引いて抑制してみたり本当に自由自在,それをまたヘルシンキ・フィルが十二分に表現しているのです.このコンビはもしかしてカラヤン/ベルリン・フィルやムラヴィンスキー/レニングラード・フィルより強力なんじゃないのと思ってしまいます.

 残念ながらベルグルンドという人がどんな人なのかわかりません.わかることというと,第5交響曲の校訂をやっているくらいだから偉い人らしいということと,ジャケットの写真から左手に指揮棒を持つ人だということくらいです.今生きているんでしょうかねえ.でもまあどんな人でもいいです.シベリウスに関しては誰よりも情熱を持って表現している指揮者だということがわかれば.そして彼が残してくれた録音が,私のシベリウスに対する誤解を解いてくれたわけですから.

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